鈴鹿市 美容院 ヘアサロン カットハウスサロック

涙が止まらない

「成人式」


美容院にとって成人式の日は大いに気合いが入る日。

夜中の午前2時からリポDを飲んで気合い入れて、手を休める事なく仕事しました。

やっと最後のお客様にヘアを作っていると、もの凄い視線を感じ、その先はその子のお母様が、じ~っと見ているのです。

「よかったら、隣で見て下さい。

近くの方がよく見えますよ」

暫くすると、今度は鼻をすする音。

気を使いながら見ると、涙をポロポロと流しているではありませんか。

言葉が見つからなかったけど、

「本当におめでとうございます。

ここまで育てるのも大変なご苦労があったことお察しします」

そして娘さんに、

「○○ちゃん、これからもお母さん大事にするんだよ!

これからは君が返す番だからね」

お母さんの嗚咽が店中に響きました。

ちょっとまずい事言ったかな?と反省しながら成人式のヘアーと着付けが終わり、その親子はお帰りになりました。


数日後、娘さんが一人で菓子折りを持ってお礼にやってきて話してくれました。

実はお母様は5年前に医者から、もってあと2年と余命宣告されていました。

そして、口ぐせのように言っていたのです。

「あんたが成人するまで生きていたい!着物姿が見られたら、他に何もいらない」

「だから泣いていたんですね。念願の着物姿が見れて」

「それもそうなんですが、実は私、口うるさい母が機嫌いで高校卒業後、すぐに就職して引越したんです。

それから殆ど連絡もせず好き勝手にやっていて、成人式は出ないつもりでした。

20歳の誕生日、母から手紙が来たんです。

その手紙には“ありがとう”って書かれていました。

2年間病気で大変な母をほったらかし、連絡も取らない私に対して、母は、

『もうそろそろ、お迎えがくるかもしれないそうです。

だから最期に言っておきたくて、

私のもとへ生まれてきてくれてありがとう。

会えなくても私は毎日あなたを思っていれて幸せでした。

本当にありがとう』」

私は自分が情けなくなってすぐに電話をしました。

「成人式の準備しといてよね!

それまでに死んじゃダメだよ。

泣きながら話していました」


「お母さん素敵だね。大切にしなよ!」

そう言った僕も泣いていました。

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素敵なお母さんです。

お母さんも、念願の娘さんの晴れ姿を見れて良かったです。

やっぱり親というものは、いつまでも子供を気にかけていますからね。

親子の絆を見せて頂いた気がします。

 

感動&幸せのヒストリア

奇跡の出会い


目が覚めたら生きていた。

朝起きたらもうご飯ができていた。

窓を開けたら美味しい空気があった。

毎日ご飯が食べられる。

買い物に行ったら欲しいものが買えた。

美味しいものを食べて美味しいと感じる。

結婚して子供が生まれた。

子どもがすくすく育っている。……


「こんなこと、当たり前だと思ったら
大間違いです。

世の中に当たり前のことは
たったひとつしかないんです。

それは、産まれてきたすべての命には
必ず終わりがあるということ。

それだけが当たり前のことで、
それ以外のことはすべて奇跡なんですよ」


助産師の内田美智子さんがこう話していた。


内田さんといえば、
一昨年、この社説でも紹介した
『いのちをいただく』の著者。


毎年牛を殺して肉にする仕事をしている
坂本さんと、畜産農家で「みいちゃん」
という牛と一緒に育った女の子の話を綴った
感動的な絵本だ。


この年末から年始にかけて、
内田さんは連日新しい命を取り上げた。

その中には15歳の少女もいた。


分娩室で彼女は「痛い、痛い!」と
泣き叫びながら、やっとのことで
3000グラムを超える大きな赤ちゃんを産んだ

妊娠に至った経緯には、
言うに言えない事情があった。

しかし、産まれたばかりの赤ちゃんを
抱きながら、少女は「ママよ、私がママよ」
と何度も語りかけていたそうだ。

しばらくして、ずっと寄り添っていた、
30代後半だろうか、40台前半だろうか、
若くして祖母になったばかりの
母親に向かって言った。


「ママ、ありがとう」


同じ頃、国会議員の野田聖子さんが
不妊治療の末、50歳にして男の子を出産した


「50歳だろうが、15歳だろうが、
生まれてきた子は乳飲み子。

手がかかるのは同じ。

周囲のサポートは同じように必要です。

中学生だろうが、国会議員だろうが、
母親は一人しかいないんです。

育てられることに感謝して欲しい」

と内田さんは言う。


30年以上もお産の現場にいる。
そこは「おめでた」ばかりではなかった。

妊娠が分かってから
女性は約10ヶ月の月日を経ながら、
少しずつ
「母親になる」という決意をしていく。

それは自分の命を賭けて産むという決意だ。

わずか50年前、約2000人の母親が
お産のときに命を落としていた。

内田さんが助産師になった30年前は300人、
一昨年でも35人の母親が自らの
命と引き換えに子どもを産んだ。

死産もある。

ある妊婦は10ヶ月目に入って
胎動がしなくなったことに気が付いた。

診察の結果、胎児は亡くなっていた。
でも、産まなければならない。


普通、お産のとき、

「頑張って。
もうすぐ元気な赤ちゃんに会えるからね」

と、妊婦を励ますが、
死産のときには掛ける言葉がないという。

泣かない子の代わりに、
母親の泣き声が分娩室に響き渡る。


その母親は内田さんに
「一晩だけこの子を抱いて寝たい」と言った

真夜中、看護師が病室を見回ると、
母親はベッドに座って子どもをだいていた。

「大丈夫ですか?」と声を掛けた看護師に、
母親は、
「今、お乳をあげていたんですよ」と言った。

見ると、母親は乳首から滲み出てくる乳を
指に付けて、子どもの口元に移していた。

「このおっぱいをどんなにか、
この子に飲ませたかったことか。

泣かない子でも、その子の母親でありたい
と思うのが母親なんです。

何千年の時を経ても
母親は母親であり続けるんです。」

と内田さん。


父親・母親世代に内田さんは、

「子育ては時間が取られるなんて思わないで。
育てられるだけでも幸せなことなのよ」

と語り、

学校に呼ばれたときには、

「お母さんは命賭けであなたたちを産んだの。
だからいじめないで。死なないで」

と子ども達に訴える。


「命が大切なんじゃない。

あなたが大切なの」と。


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「産まれてきたすべての命には
必ず終わりがあるということ。
それだけが当たり前のことで、
それ以外のことはすべて奇跡なんですよ」


確かにそう思います。
この世に生まれてきたことも、
両親と出会えたことも、そのすべてが
「奇跡」なんですよね。
 

「島唄」の歌詞の意味

「島唄」の歌詞の意味

あの有名なTHE BOOMの「島唄」は、
ボーカルの宮沢和史さんが作詞と作曲をした。

この曲は、THE BOOMはもちろん、
90年代前半の
日本音楽シーンを代表するものとなった。

この「島唄」の歌詞の意味を知っていますか?

とあることから、歌詞の意味を知って、
とにかく深い曲なんだと再評価しました。

このバンドがいまだに
カリスマ的な人気を誇る意味がわかります。
とにかく深いです。

私は、あの戦争を
美化するつもりはありませんが、
忘れてはいけないこともたくさんあると思います。
歌の力がとても深く響きました。



『島唄』

でいごの花が咲き
風を呼び 嵐が来た

(災厄を告げるという でいごの花が咲き、
(1945.4.1)沖縄本島に米軍が上陸した)

でいごが咲き乱れ
風を呼び 嵐が来た
繰りかへす哀しみは 島わたる 波のよう

(でいごが咲き乱れる1945.4-6月に、
寄せ引く波の様に、殺戮は繰り返された)

ウージぬ森で あなたと出会い
ウージぬ下で 千代にさよなら

(サトウキビ畑であなたと出会い
(ガマ)鍾乳穴の防空壕で
君が代にいう永久の御代との別れ)

島唄よ 風にのり
鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり
届けておくれ わたしぬ涙

(島唄よ 風にのり
しびとの魂(鳥)と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり
本土に伝えておくれ、沖縄の悲哀を)

でいごの花も散り
さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花

(でいごの花も散る1945.6.23に
戦闘も終わり、宝より大切な命が散り、
生き残っている者もあまりいない
日常生活は、簡単に消え去った)

ウージぬ森で うたった友よ
ウージぬ下で 八千代ぬ別れ

(さとうきび畑で謡いあったあの人は
防空壕の中で、戦闘によって死んだ)

島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を

(沖縄の思いよ、風に乗って
魂と共に、海を越えて
(あの人の居るニライ・カナイ=天国へ)
島唄よ 風に乗り
(ニライカナイへ)届けておくれ 私の愛を)

海よ
宇宙よ
神よ
いのちよ
このまま永遠に夕凪を

(海よ
宇宙よ
神よ(豊穣をもたらす)
いのちよ(何物にも代え難い命という宝よ)
このまま永遠に夕凪(平和)を(祈る))


朝日新聞に宮沢和史さんの
コラムが掲載されていたようです。

引用させていただきます。

『島唄』は、
本当はたった一人のおばあさんに
聴いてもらいたくて作った歌だ。

91年冬、
沖縄音楽にのめりこんでいたぼくは、
沖縄の『ひめゆり平和記念資料館』を初めて訪れた。

そこで『ひめゆり学徒隊』の
生き残りのおばあさんに出会い、
本土決戦を引き延ばすための
『捨て石』とされた激しい沖縄地上戦で
大勢の住民が犠牲になった事を知った。

捕虜になる事を恐れた
肉親同士が互いに殺し合う。

極限状況の話を聞くうちにぼくは、
そんな事実も知らずに生きてきた
無知な自分に怒りさえ覚えた。

資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟)の
中にいるような造りになっている。

このような場所で集団自決した
人々のことを思うと涙が止まらなかった。

だが、その資料館から一歩外に出ると、
ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。

この対比を曲にして
おばあさんに聴いてもらいたいと思った。

歌詞の中に、
ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。

『ウージの森で あなたと出会い
ウージの下で 千代にさよなら』

という下りだ。

『島唄』はレとラがない沖縄音階で作ったが、
この部分は本土で使われている音階に戻した。

2人は本土の犠牲になったのだから。

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「島唄」にここまで深い意味が
あったことを初めて知り、改めて深く、
良い曲だと思いました。

この唄を忘れないで後世に
語りついで欲しいほしいですね。

「日本の教育現場も捨てたもんじゃない」

 

【体罰】

「日本の教育現場も捨てたもんじゃない」
「教師の中の教師だ」-。
体罰をして辞表を出した京都府京丹後市の
市立小学校の男性教諭(28)が、
辞職撤回を求める保護者の署名で復職した。

市教委などによると、教諭は子供のころ、
外見を理由にした嫌がらせを受け、
自殺まで考えたことがある体験から、
常々いじめにつながる
嫌がらせ行為には気を払っていた。

今月4日、教諭は体罰をした直後、
自分で校長に報告。
校長室に向かう教諭に、
ほとんどの児童が泣きながらついていき、
校長室の周りに座り込んでいたという。

保護者説明会で
「信頼している先生に残ってほしい、
という子供たちの願いを強く感じた。
辞めさせてはならない」
と保護者が結束し、署名運動を始める一方、
校長あてに正直な思いを手紙につづった。

「(教諭の行動は)怒りの感情に
まかせた行動ではなく、冷静な対処。
自分の職をかけてでも矯正
しようとしてくれた先生に感動し、
涙がこぼれた」

児童も心境は同じだった。
「これからもぼくたちのたんにんをやってください」
「先生がいないと学校にいきたくない」
「ぼくのせいでこんなことになってごめんなさい」…。

全員が色紙に書いた寄せ書きには、
素朴だが力強い言葉が並んだ。

謹慎後、教諭は反省文を提出した。
「『みんなを殴って先生は辞める』と
言ったのは言葉の暴力だった」

「子供と話し込んだり
先輩の先生と相談するべきだった」などと振り返り、
「いかなる処分も受けて、
子供たちを立派に成長させ、卒業させる」と決意。

最後は
「こんな素晴らしい教育環境の中で
教師生活をさせていただくことに
自信と誇りをもって頑張っていきます」
と締めくくられていた。

「体罰」は事前に警告
市教委などによると、
男性教諭による体罰が起こったのは今月4日。

教諭のクラスでは1人の男児の
外見を一部児童がからかい、
他の児童も黙認する状態だった。

教諭は
「(次にからかったら)
みんなをたたいて教師を辞める」と
注意していたが、
4日に再びからかいがあったため、
「ここで放置すると、
いじめに発展しかねない」と判断。
男性教諭はからかわれた男児を除く
全員のほおを平手打ちした。

報告を受けた校長は同日夜、
保護者らを集め、教諭とともに謝罪。

3日間の自宅謹慎を
命じられた教諭は辞表を出した。

ところが、寛大な処分を求める
署名運動が保護者の間で始まり、
全校の児童191人の保護者
ほぼ全員分の署名が学校に提出された。

その後、教諭が二度と体罰をしない
意思を示したため、校長は辞表を返却した。

教諭は採用4年目で、
同小には今年度に着任していた。
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これって、体罰なのでしょうか?

私がいじめている子の親なら
平手打ちじゃあ済まないと思います。

体罰の定義は難しいですが、
体罰をした先生が校長室に行っている後ろから
ほとんどの生徒たちが辞めないでって、
普通、追いかけて来てきますか?

先生は事前に子どもたちに次に同じようなこと
があれば平手打ちをすると言っているのです。
その後に、先生を辞めるって言っているのです。

それって、自分たちが悪いことを
したことを生徒たちは
わかっているんですよね。

これって、先生の教育の賜物です!

だからこそ、生徒たちの親もわかっているのですね。

これだけの先生は他にはいないってことが…

このような先生はどんどん
増えていって欲しいですね。

いじめや教師の体罰などは日々、問題にされています。
あなたにも色々考えて欲しいと感じました。

今回の話はあなたの心に響いたでしょうか?
 

 

癒しと笑いと感動のページ 【おかげさま】

【おかげさま】

夏が来ると「冬がいい」と言う
冬が来ると「夏がいい」と言う
太ると「痩せたい」と言い
痩せると「太りたい」と言う
忙しいと「暇になりたい」と言い
暇になると「忙しい方がいい」と言う
自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い
自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う

借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる
金を持てば 古びた女房が邪魔になる
所帯を持てば 親さえも邪魔になる

衣食住は昔に比べりゃ天国だが
上を見て不平不満の明け暮れ
隣を見て愚痴ばかり

どうして自分を見つめないのか
静かに考えてみるがよい
一体自分とは何なのか

親のおかげ
先生のおかげ
世間様のおかげの固まりが自分ではないか
つまらぬ自我妄執を捨てて
得手勝手を慎んだら
世の中はきっと明るくなるだろう

「俺が」、「俺が」を捨てて
「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい

(by 上所重助)