涙が止まらない
「こどもたちよ ありがとう」
平野恵子さんは、三人の子どもに恵まれたお寺の坊守であった。
彼女が三十九歳の冬、お寺で新年を迎える準備をしていたとき、下腹部の激痛におそわれ、多量に下血した。
彼女はただならぬ重い病気であることをさとった。
あふれでる涙のなか彼女はこう思った。
「この目の前の現実は、夢でもなく、幻でもない。
間違いのない現実なのだから、決して逃げる訳にはゆかない。
きちんと見据えて対処してゆかなければ・・・」
彼女は癌の告知を受けて後、三人の子どもたちへ、母親としてあげられることは一体何だろうと考えた。
彼女は、死を前にした自分の願いを、こう記している。
「お母さんの病気が、やがて訪れるだろう死が、あなた達の心に与える悲しみ、苦しみの深さを思う時、申し訳なくて、つらくて、ただ涙があふれます。
でも、事実は、どうしようもないのです。
こんな病気のお母さんが、あなた達にしてあげれること、それは、死の瞬間まで、「お母さん」でいることです。
元気でいられる間は、御飯を作り、洗濯をして、できるだけ普通の母親でいること、徐々に動けなくなったら、素直に動けないからと頼むこと、そして、苦しい時は、ありのままに苦しむこと、それがお母さんにできる精一杯のことなのです。
そして、死は、多分、それがお母さんからあなた達への最後の贈り物になるはずです。
人生には、無駄なことは、何ひとつありません。
お母さんの病気も、死も、あなた達にとって、何一つ無駄なこと、損なこととはならないはずです。
大きな悲しみ、苦しみの中には、必ずそれと同じくらいのいや、それ以上に大きな喜びと幸福が、隠されているものなのです。
子どもたちよ、どうかそのことを忘れないでください。
たとえ、その時は、抱えきれないほどの悲しみであっても、いつか、それが人生の喜びに変わる時が、きっと訪れます。
深い悲しみ、苦しみを通してのみ、見えてくる世界があることを忘れないでください。
そして、悲しみ自分を、苦しむ自分を、そっくりそのまま支えていてくださる大地のあることに気付いて下さい。
それがお母さんの心からの願いなのですから。
お母さんの子どもに生まれてくれて、ありがとう。
本当に本当に、ありがとう。」
さらに、彼女は、死の前で、子どもたちに次のような手紙を送っている。
「お母さんは“無量寿”の世界より生まれ、“無量寿”の世界へと帰ってゆくものであります。
何故なら“無量寿”の世界とは、すべての生きとし生けるもの達の“いのちの故郷”そして、お母さんにとっても唯一の帰るべき故郷だからです。
お母さんはいつも思います。
与えられた“平野恵子”という生を尽くし終えた時、お母さんは嬉々として、“いのちの故郷”へ帰ってゆくだろうと。
そして、空気となって空へ舞い、風となってあなた達と共に野を駆け巡るのだろうと。
緑の草木となってあなた達を慰め、美しい花となってあなた達を喜ばせます。
また、水となって川を走り、大洋の波となってあなた達と戯れるのです。
時には魚となり、時には鳥となり、時には雨となり、時には、雪となるでしょう。
“無量寿=いのち”とは、すなわち限りない願いの世界なのです。
そして、すべての生きものは、その深い“いのちのねがい”に支えられてのみ生きてゆけるのです。
だからお母さんも、今まで以上にあなた達の近くに寄り添っているといえるのです。
悲しい時、辛い時、嬉しい時、いつでも耳を澄ましてください。
お母さんの声が聞こえるはずです。
『生きていてください、生きていてください』というお母さんの願いの声が、励ましが、あなた達の心の底に届くはずです。」
彼女の子どもへの愛情は、この世限りのものでなく、死をも超えてつながる真の愛情であると信じて疑わない。
その浄土は、生きとし生けるものの故郷であり、無量寿の世界であると彼女は受けとめている。
彼女は死後、自己の生命が自然のあらゆるいのちと一体となり、限りなきいのちとなって、子どもたちといっしょにずっと生きている。
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三人の子供を残して生を終える。
そこには、言葉には言い表せない、悲しみ辛さがあったことでしょう。
でも、死の直前までお母さんとして立派に生き、お母さんの励ましの声もきっとお子さん達に届く事でしょう。
死後も自然と一体となり一緒に生きているんですね。
愛情というものがこういうものだというのを学ばせて頂きました。
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