鈴鹿市 美容院 ヘアサロン カットハウスサロック

涙が止まらない

【大切なもの】   「私のどこがすき?」 お前はいつもそんなことばっか 聞いてきたな。  いつも俺は 「さーな」「どこでもいいだろ」 こんな適当な返事しかしなかった。  あの時ちゃんとお前に伝えておけば よかったな。もうお前は俺の隣にも 同じ世界にもいない。  付き合って一年。 俺は彼女に少し飽きていた。 今日も会う約束をしていた。  約束の時間にチャイムが鳴る。  彼女だ。俺は無視して携帯ゲームをする。  「ねー携帯ばっかいぢらないでよ〜お腹すいちゃった。コンビニ行こうよ」  あぁめんどくさい。  「お前うっとおしい。コンビニぐらい1人で行けよ。」  そういうと彼女はムスッとして出ていった。  それからどんだけ時間がたっただろうか。 気にしないでテレビをみていると 彼女からの着信だ。  「なんだよ」  「○○君?△△の母だけど...。今すぐ病院にきてくれる?」  彼女の母親からだった。 俺は嫌な気がした。  病院にいくと彼女は傷だらけだった。 眠っているようだった。だがもう かえらぬひととなっていた。  俺は頭が真っ白だった。  コンビニの帰りにトラックにひかれた らしい。即死だったそうだ。  彼女の母から渡されたコンビニの袋。 その中には、俺が大好きな飲み物、 お菓子など沢山入っていた。  その時に俺は彼女の大事さに 気付いた。  こいつは俺のことこんなにも 愛してくれて、理解してくれたのに 俺は何もしてやれなかった。  お前の笑顔が好き。 お前の優しさが好き。 お前の声が好き。 お前の匂いが好き。 なんであの時伝えなかったんだろう。  お前との時間が何より大切だよって。  飽きていた? こんなバカな俺をいつも支えてくれた のはお前だったのに。  いつもありがとうってまだ伝えてねーよ。 なぁ。お願いだよ。今までのこと全部 あやまりてぇよ。戻ってきてくれ。  俺はその時初めて大きな声で泣いた。  失ってからじゃ遅いんですよ。 家族、友達、恋人。 大切にしてください。 ありがとう。大好き。 たくさん伝えてください。  明日があるなんて保証はありません。 今を大事にしてください。  大切な物はいつも失ってから気づく。   ----------------------------------------- 今の普通が当たり前だと思っていました。  こういう状況になったとき初めて気づく。  この人は自分の経験から大切なことを  伝えてくれているのですね。  是非シェアお願いします。    <PR>facebookの使い方に関する お問い合わせが多数来ています。 ページの影響力も大きくなる中、 すべての返信をすることが困難になりました。  その為、初心者の方に向けて、 使い方から裏ワザ、注意点などをまとめた、 facebookマニュアルを作りました。  http://www.fb-m.net/present/  これを見て頂ければ、ほとんどの問題が解決すると思います。 少しでもお役に立てれば幸いです。
【大切なもの】


「私のどこがすき?」
お前はいつもそんなことばっか
聞いてきたな。

いつも俺は
「さーな」「どこでもいいだろ」
こんな適当な返事しかしなかった。

あの時ちゃんとお前に伝えておけば
よかったな。もうお前は俺の隣にも
同じ世界にもいない。

付き合って一年。
俺は彼女に少し飽きていた。
今日も会う約束をしていた。

約束の時間にチャイムが鳴る。

彼女だ。俺は無視して携帯ゲームをする。

「ねー携帯ばっかいぢらないでよ〜お腹すいちゃった。コンビニ行こうよ」

あぁめんどくさい。

「お前うっとおしい。コンビニぐらい1人で行けよ。」

そういうと彼女はムスッとして出ていった。

それからどんだけ時間がたっただろうか。
気にしないでテレビをみていると
彼女からの着信だ。

「なんだよ」

「○○君?△△の母だけど…。今すぐ病院にきてくれる?」

彼女の母親からだった。
俺は嫌な気がした。

病院にいくと彼女は傷だらけだった。
眠っているようだった。だがもう
かえらぬひととなっていた。

俺は頭が真っ白だった。

コンビニの帰りにトラックにひかれた
らしい。即死だったそうだ。

彼女の母から渡されたコンビニの袋。
その中には、俺が大好きな飲み物、
お菓子など沢山入っていた。

その時に俺は彼女の大事さに
気付いた。

こいつは俺のことこんなにも
愛してくれて、理解してくれたのに
俺は何もしてやれなかった。

お前の笑顔が好き。
お前の優しさが好き。
お前の声が好き。
お前の匂いが好き。
なんであの時伝えなかったんだろう。

お前との時間が何より大切だよって。

飽きていた?
こんなバカな俺をいつも支えてくれた
のはお前だったのに。

いつもありがとうってまだ伝えてねーよ。
なぁ。お願いだよ。今までのこと全部
あやまりてぇよ。戻ってきてくれ。

俺はその時初めて大きな声で泣いた。

失ってからじゃ遅いんですよ。
家族、友達、恋人。
大切にしてください。
ありがとう。大好き。
たくさん伝えてください。

明日があるなんて保証はありません。
今を大事にしてください。

大切な物はいつも失ってから気づく。


—————————————–
今の普通が当たり前だと思っていました。

こういう状況になったとき初めて気づく。

この人は自分の経験から大切なことを

伝えてくれているのですね。

涙が止まらない

「日本でいちばん大切にしたい会社」


従業員約50名のうち、およそ七割が知的障音をもった方々で占められている。

神奈川県川崎市のその会社は、多摩川が近くに流れる、静かな環境のなかにあります。

この会社こそ、日本でいちばん大切にしたい会社の一つです。

昭和12年(1937)に設立された「日本理化学工業」は、主にダストレスチョーク(粉の飛ばないチョーク)を製造しており、50年ほど前から障害者の雇用を行っています。


そもそものはじまりは、近くにある養護学校の先生の訪問でした。

昭和34年(1959)のある日、一人の女性が、当時東京都大田区にあった日本理化学工業を訪ねてきたそうです。


「私は養護学校の教諭をやっている者です。

むずかしいことはわかっておりますが、今度卒業予定の子どもを、ぜひあなたの会社で採用していただけないでしょうか。

大きな会社で障害者雇用の枠を設けているところもあると聞いていますが、ぜひこちらにお願いしたいのです」

障害をもつ二人の少女を、採用してほしいとの依頼でした。

社長である大山泰弘さん(当時は専務)は悩みに悩んだといいます。

その子たちを雇うのであれば、その一生を幸せにしてあげないといけない。

しかし果たして今のこの会社に、それだけのことができるかどうか・・・。

そう考えると自信がなかったのです。

結局、

「お気持ちはわかりますが、うちでは無理です。

申し訳ございませんが・・・」

しかしその先生はあきらめず、またやって来ます。

また断ります。

またやって来ます。

それでも断ります。

三回目の訪問のとき、大山さんを悩ませ、苦しませていることに、
その先生も耐えられなくなったのでしょう、ついにあきらめたそうです。

しかしそのとき、「せめてお願いを一つだけ」ということで、こんな申し出
をしたそうです。

「大山さん、もう採用してくれとはお願いしません。

でも、就職が無理なら、せめてあの子たちに働く体験だけでもさせてくれませんか?

そうでないとこの子たちは、働く喜び、働く幸せを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。

私たち健常者よりは、平均的にはるかに寿命が短いんです」

頭を地面にこすりつけるようにお願いしている先生の姿に、大山さんは心を打たれました。

「一週間だけ」ということで、障害をもつ二人の少女に就業体験をさせてあげることになったのです。

「私たちが面倒をみますから」

就業体験の話が決まると、喜んだのは子どもたちだけではありません。

先生方はもちろん、ご父兄たちまでたいそう喜んだそうです。

会社は午前8時から午後5時まで。

しかし、その子たちは雨の降る日も風の強い日も、毎日朝の7時に玄関に来ていたそうです。

お父さん、お母さん、さらには心配して先生までいっしょに送ってきたといいます。

親御さんたちは夕方の3時くらいになると「倒れていないか」「何か迷惑をかけていないか」と、遠くから見守っていたそうです。

そうして一週間が過ぎ、就業体験が終わろうとしている前日のことです。

「お話があります」と、十数人の社員全員が大山さんを取り囲みました。

「あの子たち、明日で就業体験が終わってしまいます。

どうか、大山さん、来年の 4月1日から、あの子たちを正規の社員として採用してあげてください。

あの二人の少女を、これっきりにするのではなくて、正社員として採用してください。

もし、あの子たちにできないことがあるなら、私たちがみんなでカバーします。

だから、どうか採用してあげてください」

これが私たちみんなのお願い、つまり、総意だと言います。

社員みんなの心を動かすほど、その子たちは朝から終業時間まで、何しろ一生懸命働いていたのです。

仕事は簡単なラベル貼りでしたが、10時の休み時間、お昼休み、3時の休み時間にも、仕事に没頭して、手を休めようとしません。

毎日背中を叩いて、「もう、お昼休みだよ」

「もう今日は終わりだよ」と言われるまで一心不乱だったそうです。

ほんとうに幸せそうな顔をして、一生懸命仕事をしていたそうです。


社員みんなの心に応えて、大山さんは少女たちを正社員として採用することにしました。

一人だけ採用というのはかわいそうだし、何よりも職場で一人ぼっちになってしまいやすいのではないか、二人ならお互い助け合えるだろうということで、とりあえず二人に働いてもらうことになりました。

それ以来、障害者を少しずつ採用するようになっていきましたが、大山さんには、一つだけわからないことがありました。

どう考えても、会社で毎日働くよりも施設でゆっくりのんびり暮らしたほうが幸せなのではないかと思えたのです。

なかなか言うことを聞いてくれず、ミスをしたときなどに「施設に帰すよ」と言うと、
泣きながらいやがる障害者の気持ちが、はじめはわからなかったのです。

そんなとき、ある法事の席で一緒になった禅寺のお坊さんにその疑問を尋ねてみたそうです。


するとお坊さんは

「そんなことは当たり前でしょう。

幸福とは、

①人に愛されること、②人にほめられること、③人の役に立つこと、④人に必要とされることです。

そのうちの②人にほめられること、③人の役に立つこと、そして④人に必要とされることは、施設では得られないでしょう。

この三つの幸福は、働くことによって得られるのです」

と教えてくれたそうです。


「その4つの幸せのなかの3つは、働くことを通じて実現できる幸せなんです。

だから、どんな障害者の方でも、働きたいという気持ちがあるんですよ。

施設のなかでのんびり楽しく、自宅でのんびり楽しく、テレビだけ見るのが幸せではないんです。

真の幸せは働くことなんです」

普通に働いてきた大山さんにとって、それは目からウロコが落ちるような考え方でした。

これは、働いている多くの人たちも忘れていることかもしれません。

それを障害者の方によって教えられたのです。



このの言葉によって、大山さんは「人間にとって“生きる”とは、必要とされて働き、それによって自分で稼いで自立することなんだ」ということに気づいたそうです。

「それなら、そういう場を提供することこそ、会社にできることなのではないか。

企業の存在価値であり社会的使命なのではないか」

それをきっかけに、以来50年間、日本理化学工業は積極的に障害者を雇用し続けることになったのです。


出典元:(日本でいちばん大切にしたい会社 坂本光司)

———————————————————————————

二人の少女が、周りの人を動かしたんですね。

②人にほめられること、③人の役に立つこと、そして④人に必要とされること、この3つは、仕事でしか得られないんですね。

仕事に対する態度は、こうするものだと、この二人の少女に学ばせてもらった気がします。
「日本でいちばん大切にしたい会社」   従業員約50名のうち、およそ七割が知的障音をもった方々で占められている。  神奈川県川崎市のその会社は、多摩川が近くに流れる、静かな環境のなかにあります。  この会社こそ、日本でいちばん大切にしたい会社の一つです。  昭和12年(1937)に設立された「日本理化学工業」は、主にダストレスチョーク(粉の飛ばないチョーク)を製造しており、50年ほど前から障害者の雇用を行っています。   そもそものはじまりは、近くにある養護学校の先生の訪問でした。  昭和34年(1959)のある日、一人の女性が、当時東京都大田区にあった日本理化学工業を訪ねてきたそうです。   「私は養護学校の教諭をやっている者です。  むずかしいことはわかっておりますが、今度卒業予定の子どもを、ぜひあなたの会社で採用していただけないでしょうか。  大きな会社で障害者雇用の枠を設けているところもあると聞いていますが、ぜひこちらにお願いしたいのです」  障害をもつ二人の少女を、採用してほしいとの依頼でした。  社長である大山泰弘さん(当時は専務)は悩みに悩んだといいます。  その子たちを雇うのであれば、その一生を幸せにしてあげないといけない。  しかし果たして今のこの会社に、それだけのことができるかどうか・・・。  そう考えると自信がなかったのです。  結局、  「お気持ちはわかりますが、うちでは無理です。  申し訳ございませんが・・・」  しかしその先生はあきらめず、またやって来ます。  また断ります。  またやって来ます。  それでも断ります。  三回目の訪問のとき、大山さんを悩ませ、苦しませていることに、 その先生も耐えられなくなったのでしょう、ついにあきらめたそうです。  しかしそのとき、「せめてお願いを一つだけ」ということで、こんな申し出 をしたそうです。  「大山さん、もう採用してくれとはお願いしません。  でも、就職が無理なら、せめてあの子たちに働く体験だけでもさせてくれませんか?  そうでないとこの子たちは、働く喜び、働く幸せを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。  私たち健常者よりは、平均的にはるかに寿命が短いんです」  頭を地面にこすりつけるようにお願いしている先生の姿に、大山さんは心を打たれました。  「一週間だけ」ということで、障害をもつ二人の少女に就業体験をさせてあげることになったのです。  「私たちが面倒をみますから」  就業体験の話が決まると、喜んだのは子どもたちだけではありません。  先生方はもちろん、ご父兄たちまでたいそう喜んだそうです。  会社は午前8時から午後5時まで。  しかし、その子たちは雨の降る日も風の強い日も、毎日朝の7時に玄関に来ていたそうです。  お父さん、お母さん、さらには心配して先生までいっしょに送ってきたといいます。  親御さんたちは夕方の3時くらいになると「倒れていないか」「何か迷惑をかけていないか」と、遠くから見守っていたそうです。  そうして一週間が過ぎ、就業体験が終わろうとしている前日のことです。  「お話があります」と、十数人の社員全員が大山さんを取り囲みました。  「あの子たち、明日で就業体験が終わってしまいます。  どうか、大山さん、来年の 4月1日から、あの子たちを正規の社員として採用してあげてください。  あの二人の少女を、これっきりにするのではなくて、正社員として採用してください。  もし、あの子たちにできないことがあるなら、私たちがみんなでカバーします。  だから、どうか採用してあげてください」  これが私たちみんなのお願い、つまり、総意だと言います。  社員みんなの心を動かすほど、その子たちは朝から終業時間まで、何しろ一生懸命働いていたのです。  仕事は簡単なラベル貼りでしたが、10時の休み時間、お昼休み、3時の休み時間にも、仕事に没頭して、手を休めようとしません。  毎日背中を叩いて、「もう、お昼休みだよ」  「もう今日は終わりだよ」と言われるまで一心不乱だったそうです。  ほんとうに幸せそうな顔をして、一生懸命仕事をしていたそうです。    社員みんなの心に応えて、大山さんは少女たちを正社員として採用することにしました。  一人だけ採用というのはかわいそうだし、何よりも職場で一人ぼっちになってしまいやすいのではないか、二人ならお互い助け合えるだろうということで、とりあえず二人に働いてもらうことになりました。  それ以来、障害者を少しずつ採用するようになっていきましたが、大山さんには、一つだけわからないことがありました。  どう考えても、会社で毎日働くよりも施設でゆっくりのんびり暮らしたほうが幸せなのではないかと思えたのです。   なかなか言うことを聞いてくれず、ミスをしたときなどに「施設に帰すよ」と言うと、 泣きながらいやがる障害者の気持ちが、はじめはわからなかったのです。  そんなとき、ある法事の席で一緒になった禅寺のお坊さんにその疑問を尋ねてみたそうです。   するとお坊さんは  「そんなことは当たり前でしょう。  幸福とは、  ①人に愛されること、②人にほめられること、③人の役に立つこと、④人に必要とされることです。  そのうちの②人にほめられること、③人の役に立つこと、そして④人に必要とされることは、施設では得られないでしょう。  この三つの幸福は、働くことによって得られるのです」  と教えてくれたそうです。   「その4つの幸せのなかの3つは、働くことを通じて実現できる幸せなんです。  だから、どんな障害者の方でも、働きたいという気持ちがあるんですよ。  施設のなかでのんびり楽しく、自宅でのんびり楽しく、テレビだけ見るのが幸せではないんです。  真の幸せは働くことなんです」  普通に働いてきた大山さんにとって、それは目からウロコが落ちるような考え方でした。  これは、働いている多くの人たちも忘れていることかもしれません。  それを障害者の方によって教えられたのです。     このの言葉によって、大山さんは「人間にとって“生きる”とは、必要とされて働き、それによって自分で稼いで自立することなんだ」ということに気づいたそうです。  「それなら、そういう場を提供することこそ、会社にできることなのではないか。  企業の存在価値であり社会的使命なのではないか」  それをきっかけに、以来50年間、日本理化学工業は積極的に障害者を雇用し続けることになったのです。   出典元:(日本でいちばん大切にしたい会社 坂本光司)  ---------------------------------------------------------------------------------  二人の少女が、周りの人を動かしたんですね。  ②人にほめられること、③人の役に立つこと、そして④人に必要とされること、この3つは、仕事でしか得られないんですね。  仕事に対する態度は、こうするものだと、この二人の少女に学ばせてもらった気がします。   良かったら、シェアをお願いします。
 

涙が止まらない

「わたしを見守るひとがいる」


バスの乗客は、白い杖を持った美しい若い女性が慎重にステップをのぼってくるのをはらはらしながら見守っていた。

彼女は手探りで座席の位置を確かめながら通路を歩いて、運転手に教えられた空席を見つけた。

座席に腰を下ろすと、ブリーフケースを膝に載せ、杖を脚によせて立てた。


34歳のスーザンが視覚障害者になってから1年になる。

誤診のために視力を失って、彼女は闇と怒りと苛立ちと自己憐憫の世界に突き落とされた。

ひと一倍独立心の強い女性だったのに、残酷な運命のいたずらのせいで、ひとの助けを借りなければならないのが辛かった。


「どうして、こんな目にあわなければならないの?」彼女は怒りに胸をつまらせて嘆いた。

だが、いくら泣いてもわめいても祈っても、辛い現実が変わるはずもないことはわかっていた。

視力は2度と回復しない。


以前は明るかったスーザンの心は、重い鬱の雲に覆われた。

毎日をやり過ごすだけでも、苛立ちや果てしない疲労の連続だった。

彼女は必死の思いで夫のマークにすがった。


マークは空軍の将校で、心からスーザンを愛していた。

視力を失った彼女が絶望の淵に沈み込んだとき、

マークはなんとか妻にもういちど力と自信を取り戻させよう、

もういちど独立心を回復させてやろうと決意した。

軍人であるマークは、扱いの困難な状況に対処する訓練を充分に受けていたが、その彼でさえ、これはこの上なく厳しい闘いになることを知っていた。


ついに、スーザンは仕事に復帰する決心をした。

だが、どうやって職場に通ったらいいだろう?

以前はバスを使っていたが、ひとりで街に出るなんてもう怖くてできない。

マークが、毎日車で職場まで送って行こうと申し出た。

2人の職場は街の反対側に分かれていたのだが。

はじめ、スーザンは喜んだし、
ほんのわずかなことにも大変な思いをしている妻を守ってやりたいというマークの気持ちもこれで満たされた。

ところがしばらくすると、マークはこのままではいけないと気づいた。

そんなことを続けるのはどう考えても無理だったし、負担が大きすぎる。

スーザンはひとりでバスに乗ることを覚えなければいけないんだ、とマークは自分に言い聞かせた。

だが、彼女にそう言うと考えただけで、彼はひるんだ。

それでなくても頼りなく、怒りにさいなまれているのに。そんなことを言われたら、どうなるだろう?


マークの予想どおり、またバスに乗ると考えただけで、スーザンは震え上がった。

「目が見えないのよ!」彼女は苦々しく答えた。

「どうすれば行く先がわかるの?あなた、もうわたしの面倒を見るのがいやになったんだわ」

こう言われてマークの心は傷ついたが、しかしなすべきことはわかっていた。

彼はスーザンに毎日、朝晩いっしょにバスに乗ってやると約束した。

彼女がひとりで大丈夫と思うまで、どんなに時間がかかっても。


その通りになった。

まる2週間、軍服を着て支度を整えたマークは、毎日スーザンの送り迎えをした。

残った感覚、とくに聴覚を働かせて、自分の居場所をつかみ、新しい環境に適応する術をスーザンに教えた。

バスの運転手ともなじみになり、彼女に気を配り、座席をとっておいてもらえるようにした。


そのうちに、スーザンも笑い声をあげるようになった。

バスを下りるときにつまづいたり、書類が詰まったブリーフケースを通路に落としてしまうといった運の悪い日にすら、笑顔が出るようになった。


毎朝、2人はいっしょに出かけ、それからマークはタクシーでオフィスに向かった。

車で送迎するよりももっと費用がかかったが、マークは時間の問題だと知っていた。

スーザンはきっとひとりでバスに乗れるようになる。

彼はスーザンを信じていた。

視力を失う前の、何があっても恐れずに立ち向かって、決してあきらめなかったスーザンを。


ついに、スーザンはひとりでバスに乗ると言いだした。

月曜日になった。

スーザンは出かける前に、夫であり親友でもあるマークの首に両腕をまきつけた。

彼の誠実さと忍耐と愛を思って、スーザンの目に感謝の涙があふれた。

「行ってきます」。

2人は初めて、べつべつに出勤した。

月曜日、火曜日、水曜日、木曜日……。

毎日は無事に過ぎていき、スーザンの気持ちも、かつてなかったほど明るくなった。

やったわ! 自分だけで出勤できるんだ。


金曜日の朝、スーザンはいつものようにバスに乗った。

料金を払ってバスを下りようとしたとき、運転手が言った。

「あんたはいいねぇ」

スーザンは、まさか自分に言われたのではないだろうと考えた。

いったい誰が目の見えない女性をうらやむというのだろう。

この1年をやっとの思いで生きてきたというのに。

不思議に思って、彼女は運転手に聞いた。

「どうして、いいねぇなんて言うんですか?」

運転手は答えた。

「だって、あんたみたいに大切にされて、守られていたら、さぞかし気分がいいだろうと思ってさ」

スーザンには運転手の言っていることが全然わからなかったので、もう一度尋ねた。

「どういう意味なの?」

答えが返ってきた。

「ほら、今週ずっと、毎朝ハンサムな軍人が通りの向こうに立って、
あんたがバスを下りるのを見守っていたじゃないか。

あんたが無事に通りを渡って、オフィスの建物に入っていくのを確かめているんだよ。

それから、彼はあんたにキスを投げ、小さく敬礼をして去っていく。

あんたはほんとうにラッキーな女性だよ」


幸せの涙がスーザンの頬をつたった。

目には見えなくても、マークの存在がありありと感じられた。

わたしはラッキーだ。

ほんとうにラッキーだわ。

彼は視力よりももっと力強いプレゼントを、見る必要などない、
はっきりと信じられるプレゼントをくれたのだった。

闇の世界を明るく照らしてくれる愛というプレゼントを。


出典元: 心のチキンスープ

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ずっと見守ってくれていたんですね。

彼の深い愛情によって彼女も、より大きな力をもらったんでしょうね。

愛とはこういうものだということを学ばせてくれた気がします。


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「わたしを見守るひとがいる」   バスの乗客は、白い杖を持った美しい若い女性が慎重にステップをのぼってくるのをはらはらしながら見守っていた。  彼女は手探りで座席の位置を確かめながら通路を歩いて、運転手に教えられた空席を見つけた。  座席に腰を下ろすと、ブリーフケースを膝に載せ、杖を脚によせて立てた。   34歳のスーザンが視覚障害者になってから1年になる。  誤診のために視力を失って、彼女は闇と怒りと苛立ちと自己憐憫の世界に突き落とされた。  ひと一倍独立心の強い女性だったのに、残酷な運命のいたずらのせいで、ひとの助けを借りなければならないのが辛かった。    「どうして、こんな目にあわなければならないの?」彼女は怒りに胸をつまらせて嘆いた。  だが、いくら泣いてもわめいても祈っても、辛い現実が変わるはずもないことはわかっていた。  視力は2度と回復しない。   以前は明るかったスーザンの心は、重い鬱の雲に覆われた。  毎日をやり過ごすだけでも、苛立ちや果てしない疲労の連続だった。  彼女は必死の思いで夫のマークにすがった。   マークは空軍の将校で、心からスーザンを愛していた。  視力を失った彼女が絶望の淵に沈み込んだとき、  マークはなんとか妻にもういちど力と自信を取り戻させよう、  もういちど独立心を回復させてやろうと決意した。  軍人であるマークは、扱いの困難な状況に対処する訓練を充分に受けていたが、その彼でさえ、これはこの上なく厳しい闘いになることを知っていた。   ついに、スーザンは仕事に復帰する決心をした。  だが、どうやって職場に通ったらいいだろう?  以前はバスを使っていたが、ひとりで街に出るなんてもう怖くてできない。  マークが、毎日車で職場まで送って行こうと申し出た。  2人の職場は街の反対側に分かれていたのだが。  はじめ、スーザンは喜んだし、 ほんのわずかなことにも大変な思いをしている妻を守ってやりたいというマークの気持ちもこれで満たされた。  ところがしばらくすると、マークはこのままではいけないと気づいた。  そんなことを続けるのはどう考えても無理だったし、負担が大きすぎる。  スーザンはひとりでバスに乗ることを覚えなければいけないんだ、とマークは自分に言い聞かせた。  だが、彼女にそう言うと考えただけで、彼はひるんだ。  それでなくても頼りなく、怒りにさいなまれているのに。そんなことを言われたら、どうなるだろう?   マークの予想どおり、またバスに乗ると考えただけで、スーザンは震え上がった。   「目が見えないのよ!」彼女は苦々しく答えた。   「どうすれば行く先がわかるの?あなた、もうわたしの面倒を見るのがいやになったんだわ」  こう言われてマークの心は傷ついたが、しかしなすべきことはわかっていた。  彼はスーザンに毎日、朝晩いっしょにバスに乗ってやると約束した。  彼女がひとりで大丈夫と思うまで、どんなに時間がかかっても。   その通りになった。  まる2週間、軍服を着て支度を整えたマークは、毎日スーザンの送り迎えをした。  残った感覚、とくに聴覚を働かせて、自分の居場所をつかみ、新しい環境に適応する術をスーザンに教えた。  バスの運転手ともなじみになり、彼女に気を配り、座席をとっておいてもらえるようにした。   そのうちに、スーザンも笑い声をあげるようになった。  バスを下りるときにつまづいたり、書類が詰まったブリーフケースを通路に落としてしまうといった運の悪い日にすら、笑顔が出るようになった。   毎朝、2人はいっしょに出かけ、それからマークはタクシーでオフィスに向かった。  車で送迎するよりももっと費用がかかったが、マークは時間の問題だと知っていた。  スーザンはきっとひとりでバスに乗れるようになる。  彼はスーザンを信じていた。  視力を失う前の、何があっても恐れずに立ち向かって、決してあきらめなかったスーザンを。   ついに、スーザンはひとりでバスに乗ると言いだした。  月曜日になった。  スーザンは出かける前に、夫であり親友でもあるマークの首に両腕をまきつけた。  彼の誠実さと忍耐と愛を思って、スーザンの目に感謝の涙があふれた。  「行ってきます」。  2人は初めて、べつべつに出勤した。  月曜日、火曜日、水曜日、木曜日……。  毎日は無事に過ぎていき、スーザンの気持ちも、かつてなかったほど明るくなった。  やったわ! 自分だけで出勤できるんだ。   金曜日の朝、スーザンはいつものようにバスに乗った。  料金を払ってバスを下りようとしたとき、運転手が言った。  「あんたはいいねぇ」  スーザンは、まさか自分に言われたのではないだろうと考えた。  いったい誰が目の見えない女性をうらやむというのだろう。  この1年をやっとの思いで生きてきたというのに。   不思議に思って、彼女は運転手に聞いた。   「どうして、いいねぇなんて言うんですか?」  運転手は答えた。   「だって、あんたみたいに大切にされて、守られていたら、さぞかし気分がいいだろうと思ってさ」  スーザンには運転手の言っていることが全然わからなかったので、もう一度尋ねた。   「どういう意味なの?」  答えが返ってきた。   「ほら、今週ずっと、毎朝ハンサムな軍人が通りの向こうに立って、 あんたがバスを下りるのを見守っていたじゃないか。  あんたが無事に通りを渡って、オフィスの建物に入っていくのを確かめているんだよ。  それから、彼はあんたにキスを投げ、小さく敬礼をして去っていく。  あんたはほんとうにラッキーな女性だよ」   幸せの涙がスーザンの頬をつたった。  目には見えなくても、マークの存在がありありと感じられた。  わたしはラッキーだ。  ほんとうにラッキーだわ。  彼は視力よりももっと力強いプレゼントを、見る必要などない、 はっきりと信じられるプレゼントをくれたのだった。  闇の世界を明るく照らしてくれる愛というプレゼントを。   出典元: 心のチキンスープ  ----------------------------------------------------------------------------------  ずっと見守ってくれていたんですね。  彼の深い愛情によって彼女も、より大きな力をもらったんでしょうね。  愛とはこういうものだということを学ばせてくれた気がします。   良かったらシェアをお願いします。  --------------------------------------------------------------------------------
 

涙が止まらない

「神からの水」


ある番組で深く考えさせられたことがありました。

どこの国か定かではありませんが、 黒人のお母さん達が頭に甕(かめ)を乗せて、毎日一時間歩いて水を汲みに行くという映像でした。


この甕一杯の二十リットルが五人家族の一日分の水だといい、 小さな切り株を台に、一滴も無駄にしないように何度も台の上からわずかな水も掬い取りながら料理を作っていました。


一人の若いお母さんに取材班が尋ねます。

「もっと水が欲しくないですか?」と。

すると彼女は、きれいな目で一言「これが神様が私たちに下さった量なのです」と答えたのです。

私は、この言葉に射抜かれて全身に衝撃が走りました。


生きるために必要な水さえも十分にない厳しい環境にありながらも、 彼女は身の境遇を恨むではなく、見事な言葉で神への感謝と自身の存在を語ったのです。


日本人一人が一日に使う水の量は、生活用水だけで約三十リットル。

安易に比較することはできませんが、 豊かな自然に恵まれた熊野で社家として生まれ育った私は、その恩恵に対して「感謝」という言葉をよく用い、 「自然に感謝する心が大切」と説いてきました。

素直な心でそう思っているのですが、 この母親の珠玉の言霊にふれて、今まで自分が口にしてきた感謝という言葉とは異質の重みを感じたのです。


天からの恵みを「神様が私たちに下さった量なのです」と謙虚に受け入れ、 まさに自然と共生しながら暮らす彼女たちの気高さの中に、私は一神教と多神教の壁をこえた「神」を見たような気がしました。

もし彼女と同じ境遇におかれたら、果たしてあのような言霊が私にも授かるだろうか。


水だけでなく、今ある自然の恵みをもっと大切に思い直し、生活を改めていかなければと強く思いました。

———————————————————————————

ここまで感謝をしてふだん水を使っているでしょうか?

私も、この文を読んで衝撃を受けました。

当たり前のように使える水。

節水も大事ですが、感謝の気持ちも大事なんですね。

水を当たり前に使えることに感謝したいと思います。
「神からの水」   ある番組で深く考えさせられたことがありました。  どこの国か定かではありませんが、 黒人のお母さん達が頭に甕(かめ)を乗せて、毎日一時間歩いて水を汲みに行くという映像でした。      この甕一杯の二十リットルが五人家族の一日分の水だといい、 小さな切り株を台に、一滴も無駄にしないように何度も台の上からわずかな水も掬い取りながら料理を作っていました。    一人の若いお母さんに取材班が尋ねます。  「もっと水が欲しくないですか?」と。   すると彼女は、きれいな目で一言「これが神様が私たちに下さった量なのです」と答えたのです。   私は、この言葉に射抜かれて全身に衝撃が走りました。    生きるために必要な水さえも十分にない厳しい環境にありながらも、 彼女は身の境遇を恨むではなく、見事な言葉で神への感謝と自身の存在を語ったのです。    日本人一人が一日に使う水の量は、生活用水だけで約三十リットル。  安易に比較することはできませんが、 豊かな自然に恵まれた熊野で社家として生まれ育った私は、その恩恵に対して「感謝」という言葉をよく用い、 「自然に感謝する心が大切」と説いてきました。  素直な心でそう思っているのですが、 この母親の珠玉の言霊にふれて、今まで自分が口にしてきた感謝という言葉とは異質の重みを感じたのです。    天からの恵みを「神様が私たちに下さった量なのです」と謙虚に受け入れ、 まさに自然と共生しながら暮らす彼女たちの気高さの中に、私は一神教と多神教の壁をこえた「神」を見たような気がしました。  もし彼女と同じ境遇におかれたら、果たしてあのような言霊が私にも授かるだろうか。    水だけでなく、今ある自然の恵みをもっと大切に思い直し、生活を改めていかなければと強く思いました。   ---------------------------------------------------------------------------------  ここまで感謝をしてふだん水を使っているでしょうか?  私も、この文を読んで衝撃を受けました。  当たり前のように使える水。  節水も大事ですが、感謝の気持ちも大事なんですね。  水を当たり前に使えることに感謝したいと思います。   良かったら、シェアをお願いします。
 

~世界の良い話~

「その言葉を信じるな」

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彼はどんなときも

その言葉を信じようとしなかった。


自分に対して

その言葉を絶対に使わないと約束していた。



その言葉とは、

「君には無理だよ」


この言葉を使いたがる大人を信じてはいけない。


大人たちは自分と同じように

夢をあきらめてほしいと願っているからだ。


彼はバスケットボールに出会い、

有名高校でスター選手になることを夢見た。


しかし神様のいたずらで、

彼はバスケットボールでは無名の高校に

強制的に入学させられる。



それでも少年は夢を信じ、

誰よりも熱心に練習をした。



高校のチームに勝利をもたらすことに

最善をつくした。



1年生にもかかわらず試合で36得点をあげ、

「マジック」という名で呼ばれるようになる。



そして大学に進学した彼は

プロにスカウトされる。



プロチームでは、長身だった彼に

ポイントガードと呼ばれる、

通常、背が低く、器用な選手がつとめる

ポジションが与えられた。


それは、チームの「司令塔」的な役割を

担うポジションだった。



まわりは、

「君には無理だよ」

と猛反対した。



それでも彼は

あきらめなかった。



そして、

彼は少年時代からのあこがれの選手とともに

チームを優勝へと導いたのだ。


彼はトップ・スター・プレイヤーとなった。


彼の名はアーヴィン・ジョンソン。


人々は彼を

マジック・ジョンソンと呼ぶ。


彼は次々とマジックを起こした。


オリンピックでは金メダルを取った。



32歳のとき、

HIVに感染し、引退したが、

その後再挑戦し、復活を果たした。


ビジネス界でも成功した。


アメリカ・プロバスケットボールリーグ

NBAを有名にした、歴代最高のポイントガード。


NBA50周年のときには、

「歴代の偉大な50人の選手」

のひとりに選ばれている。


彼は50歳になった今もその言葉を信じない。


そして人生に

マジックを起こし続けている。


あなたの人生にも

マジックはいくらでも起こせる。


「君には無理だよ」

その言葉を信じなければ。


その言葉を発する人は

ドリーム・キラー。



ドリーム・キラーには耳をかさず、

自分のまわりを情熱であふれ、

夢を持った人たちでかためよう。



あなたは夢をかなえるために生まれてきた。


あなたは幸せになるために生まれてきた。


あなたは愛されるために生まれてきた。


————————————

出典元  (是久昌信著 情熱思考)

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さすがは、マジックジョンソンですね。


「君には無理だよ」

周りから何回言われてきたことか・・・

親から、友達から、職場の同僚から・・・

これからは、

君には無理だよという言葉には、

耳を貸さないようにします。


君には無理だよ!

という言葉は信じないぞ!
「その言葉を信じるな」   ------------------------------------  彼はどんなときも  その言葉を信じようとしなかった。   自分に対して  その言葉を絶対に使わないと約束していた。    その言葉とは、  「君には無理だよ」   この言葉を使いたがる大人を信じてはいけない。   大人たちは自分と同じように  夢をあきらめてほしいと願っているからだ。   彼はバスケットボールに出会い、  有名高校でスター選手になることを夢見た。   しかし神様のいたずらで、  彼はバスケットボールでは無名の高校に  強制的に入学させられる。    それでも少年は夢を信じ、  誰よりも熱心に練習をした。    高校のチームに勝利をもたらすことに  最善をつくした。    1年生にもかかわらず試合で36得点をあげ、  「マジック」という名で呼ばれるようになる。    そして大学に進学した彼は  プロにスカウトされる。    プロチームでは、長身だった彼に  ポイントガードと呼ばれる、  通常、背が低く、器用な選手がつとめる  ポジションが与えられた。   それは、チームの「司令塔」的な役割を  担うポジションだった。    まわりは、  「君には無理だよ」  と猛反対した。    それでも彼は  あきらめなかった。    そして、  彼は少年時代からのあこがれの選手とともに  チームを優勝へと導いたのだ。   彼はトップ・スター・プレイヤーとなった。   彼の名はアーヴィン・ジョンソン。   人々は彼を  マジック・ジョンソンと呼ぶ。   彼は次々とマジックを起こした。   オリンピックでは金メダルを取った。    32歳のとき、  HIVに感染し、引退したが、  その後再挑戦し、復活を果たした。   ビジネス界でも成功した。   アメリカ・プロバスケットボールリーグ  NBAを有名にした、歴代最高のポイントガード。   NBA50周年のときには、  「歴代の偉大な50人の選手」  のひとりに選ばれている。   彼は50歳になった今もその言葉を信じない。   そして人生に  マジックを起こし続けている。   あなたの人生にも  マジックはいくらでも起こせる。   「君には無理だよ」  その言葉を信じなければ。   その言葉を発する人は  ドリーム・キラー。    ドリーム・キラーには耳をかさず、  自分のまわりを情熱であふれ、  夢を持った人たちでかためよう。    あなたは夢をかなえるために生まれてきた。   あなたは幸せになるために生まれてきた。   あなたは愛されるために生まれてきた。   ------------------------------------  出典元  (是久昌信著 情熱思考)  ------------------------------------  さすがは、マジックジョンソンですね。   「君には無理だよ」  周りから何回言われてきたことか・・・  親から、友達から、職場の同僚から・・・  これからは、  君には無理だよという言葉には、  耳を貸さないようにします。   君には無理だよ!  という言葉は信じないぞ!   と思ったら、シェア!!