鈴鹿市 美容院 ヘアサロン カットハウスサロック

WBC 感動秘話(*^_^*)

WBC台湾戦の奇跡。円陣お辞儀の秘密。  これいい話ですね。感動しました。シェアです。   ********   今回のWBCには、その道程の中で決して忘れてはならない 魂のベストゲームが存在します。  それが今月8日に行われた日本×台湾戦でした。  9回2アウトまで追い込まれた日本の底力。 そして逆転劇。  しかし、土壇場で勝利を逃し落胆しているはずの台湾ナインですが、  試合後、地上波では放送されることのなかった ある振る舞いで日本人を驚かせました。   なぜかマウンドで円陣になり、 スタンドに向かって深々と頭を下げる彼ら。   そして試合後に台湾のファンが掲げた旗には、  「日本おめでとう」の文字が。  その謙虚さと息をのむ光景に 何万人という日本人にが胸を熱くしました。   ……   それは、まもなく震災から2年を迎える  今月6日のことでした。   一人の日本人がツイッターにこうつぶやきます。   「WBC、日本は初戦が台湾に決定。この試合を見に行かれる方、先般の東日本大震災への台湾からの多大な支援のお礼の横断幕やプラカードをお願いします。WBCを通じ、日本と台湾の信頼関係を深め、私達が本当に台湾に感謝している事を伝えて下さい」   台湾からの多大な支援。  そう、意外と知られていませんが、  先の震災で世界最多となる200億円を超える義援金と、 400トンを超える援助物資を送ってくれたのが  台湾だということ。  そればかりか、  震災の翌日に世界のどこよりも早く 救助隊を派遣してくれたのも、また台湾でした。   「そんな台湾にお礼をしよう。」  WBC日本台湾戦の2日前にそう呼びかけたツイッターは、 瞬く間に日本中に拡散しました。   そしてその展開は日本だけにとどまりませんでした。  台湾に感謝を示そうとした日本人の心が、  翌日には海を超え、 中国語に翻訳されて拡散され、  台湾の人をも動かし始めます。   台湾の街角でも、何人もの人が中国語に訳されたあのツイートを。   こうして広がっていったやりとりは、  台湾のマスコミにも取り上げられ、 多くのことに知られることになります。   ただ、この時すでに来日していた台湾選手たちは、 こうした盛り上がりを知りません。   ……   彼らにとってWBCの日本戦はあまりに特別なもの。  台湾にとっての野球、 それは日本と切っても切れない縁で結ばれたスポーツです。   そもそも野球は日本が台湾を統治していた時代に 持ち込まれたものでした。  「職業棒球」と呼ばれる台湾のプロ野球チームは、現在4チーム。  監督やコーチ、選手など 実は、多くの日本人が台湾野球の発展に力を尽くしています。   そんな日本は台湾の野球人にとって  常にその背中を追いかけてきた父のような存在。   今や台湾で最も人気のあるスポーツとなり、 紙幣の絵柄にも採用されるほどになった野球というスポーツ。   今回のWBCも各地で大型のパブリックビューイングが催され、  2,300万人の人口の半数を超える 1,200万人が視聴しました。   国際映像で流れる東京ドームの映像は、  くしくも、  日本にとっては台湾に感謝を伝え、  台湾にとっては野球を教えてくれた日本と世界の舞台で戦える 最高のステージとなっていたのです。   ……   試合当日、スタンドにはツイッターの呼びかけ通り、  「台湾に感謝」と書かれた色とりどりのプラカードが。   それが1枚や2枚ではありません。  プラカードの存在に球場で初めて気づいた台湾選手たち。   そんな中、始まった試合は、 まさにWBC史上に残る名勝負となります。   およそ一世紀という時間をかけ、 必死に追いかけてきた背中を越えようとする台湾と、  その前に立ちはだかる日本。   その名勝負は夜23時半を超えても決着がつかず、  いつしか敵と味方という立場も超えて、 球場を一つにし、東京ドームにはウェーブが起こります。   そして日本が1点ビハインドで迎えた9回2アウト。  日本がついに同点に追いつきます。   そして、次の10回表ついに日本が逆転。   その裏、最後にはまるで高校野球のような ヘッドスライディングを見せる台湾選手。  しかし、追いかけてきた背中にあと一歩届きませんでした。   しかし、これで物語は終わりませんでした。   日本の地上波では放送されなかったシーンです。    喜びを爆発させる日本代表選手の後ろで、  ベンチを出て行く台湾代表選手たち。   彼らは全員でマウンドに向かうと、  360度、スタンドの全方向に深々と一礼をします。   「ホームグラウンドでもない私たちを 日本のファンは応援してくれる。…それに感謝したい」   その姿に観客から惜しみない拍手が贈られます。   「礼には礼でこたえる。」  そうやって互いにリスペクトする関係が築けたこと。 あの日私達はそんな幸せな光景を目の当たりにしました。   (Mr.サンデーより)  ********  いいですね。    ▼Facebookを使いこなすなら・・・ http://ayu777.net/web/109/   ************************   Frontline Marketing Japan 株式会社 小玉 歩 http://kodamaayumu.com/  ************************
WBC台湾戦の奇跡。円陣お辞儀の秘密。
これいい話ですね。感動しました。シェアです。
… ********
今回のWBCには、その道程の中で決して忘れてはならない
魂のベストゲームが存在します。
それが今月8日に行われた日本×台湾戦でした。
9回2アウトまで追い込まれた日本の底力。
そして逆転劇。
しかし、土壇場で勝利を逃し落胆しているはずの台湾ナインですが、
試合後、地上波では放送されることのなかった
ある振る舞いで日本人を驚かせました。
なぜかマウンドで円陣になり、
スタンドに向かって深々と頭を下げる彼ら。
そして試合後に台湾のファンが掲げた旗には、
「日本おめでとう」の文字が。
その謙虚さと息をのむ光景に
何万人という日本人にが胸を熱くしました。
……
それは、まもなく震災から2年を迎える
今月6日のことでした。
一人の日本人がツイッターにこうつぶやきます。
「WBC、日本は初戦が台湾に決定。この試合を見に行かれる方、先般の東日本大震災への台湾からの多大な支援のお礼の横断幕やプラカードをお願いします。WBCを通じ、日本と台湾の信頼関係を深め、私達が本当に台湾に感謝している事を伝えて下さい」
台湾からの多大な支援。
そう、意外と知られていませんが、
先の震災で世界最多となる200億円を超える義援金と、
400トンを超える援助物資を送ってくれたのが
台湾だということ。
そればかりか、
震災の翌日に世界のどこよりも早く
救助隊を派遣してくれたのも、また台湾でした。
「そんな台湾にお礼をしよう。」
WBC日本台湾戦の2日前にそう呼びかけたツイッターは、
瞬く間に日本中に拡散しました。
そしてその展開は日本だけにとどまりませんでした。
台湾に感謝を示そうとした日本人の心が、
翌日には海を超え、
中国語に翻訳されて拡散され、
台湾の人をも動かし始めます。
台湾の街角でも、何人もの人が中国語に訳されたあのツイートを。
こうして広がっていったやりとりは、
台湾のマスコミにも取り上げられ、
多くのことに知られることになります。
ただ、この時すでに来日していた台湾選手たちは、
こうした盛り上がりを知りません。
……
彼らにとってWBCの日本戦はあまりに特別なもの。
台湾にとっての野球、
それは日本と切っても切れない縁で結ばれたスポーツです。
そもそも野球は日本が台湾を統治していた時代に
持ち込まれたものでした。
「職業棒球」と呼ばれる台湾のプロ野球チームは、現在4チーム。
監督やコーチ、選手など
実は、多くの日本人が台湾野球の発展に力を尽くしています。
そんな日本は台湾の野球人にとって
常にその背中を追いかけてきた父のような存在。
今や台湾で最も人気のあるスポーツとなり、
紙幣の絵柄にも採用されるほどになった野球というスポーツ。
今回のWBCも各地で大型のパブリックビューイングが催され、
2,300万人の人口の半数を超える
1,200万人が視聴しました。
国際映像で流れる東京ドームの映像は、
くしくも、
日本にとっては台湾に感謝を伝え、
台湾にとっては野球を教えてくれた日本と世界の舞台で戦える
最高のステージとなっていたのです。
……
試合当日、スタンドにはツイッターの呼びかけ通り、
「台湾に感謝」と書かれた色とりどりのプラカードが。
それが1枚や2枚ではありません。
プラカードの存在に球場で初めて気づいた台湾選手たち。
そんな中、始まった試合は、
まさにWBC史上に残る名勝負となります。
およそ一世紀という時間をかけ、
必死に追いかけてきた背中を越えようとする台湾と、
その前に立ちはだかる日本。
その名勝負は夜23時半を超えても決着がつかず、
いつしか敵と味方という立場も超えて、
球場を一つにし、東京ドームにはウェーブが起こります。
そして日本が1点ビハインドで迎えた9回2アウト。
日本がついに同点に追いつきます。
そして、次の10回表ついに日本が逆転。
その裏、最後にはまるで高校野球のような
ヘッドスライディングを見せる台湾選手。
しかし、追いかけてきた背中にあと一歩届きませんでした。
しかし、これで物語は終わりませんでした。
日本の地上波では放送されなかったシーンです。
喜びを爆発させる日本代表選手の後ろで、
ベンチを出て行く台湾代表選手たち。
彼らは全員でマウンドに向かうと、
360度、スタンドの全方向に深々と一礼をします。
「ホームグラウンドでもない私たちを
日本のファンは応援してくれる。…それに感謝したい」
その姿に観客から惜しみない拍手が贈られます。
「礼には礼でこたえる。」
そうやって互いにリスペクトする関係が築けたこと。
あの日私達はそんな幸せな光景を目の当たりにしました。
(Mr.サンデーより)
********
いいですね。

短い文章ですがお時間あるときに、是非お読みください。

******************** 先生が小学五年生の担任になった時、 どうしても好きになれない児童がひとりいた。  その少年は、一人服装が不潔でだらしなかった。 中間記録に先生は少年の悪いところばかりを 記入するようになっていた。  あるとき、少年の一年生の記録が目にとまったのである。  一年生・・・朗らかで、友達が好きで、人にも親切。       勉強も良く出来、将来が楽しみ。  間違いだ。 他のこの記録に違いない。  先生はそう思った。  二年生・・・母親が病気で世話をしなければならず、       学校に遅刻する。  三年生(一学期)・・・母親の病気が悪くなり疲れていて教室で居眠りをする  三年生(三学期)・・・母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる。  四年生・・・父は生きる意欲を失い、       アルコール依存症となり、子供に暴力を振るう。   先生の胸に激しい痛みが走った。  ダメと決め付けていた子が突然、 悲しみを生き抜いている生身に人間として、 自分の前に立ち現れてきたのだ。   放課後、先生は少年に声をかけた。   「先生は夕方まで教室で仕事をするから、  あなたも勉強していかない?  分からないところは教えてあげるから」  少年は初めて笑顔をみせた。  それから毎日少年は教室の自分の机で 予習復習を熱心に続けた。  授業で少年が始めて手を挙げたとき、 先生に大きな喜びが沸き起こった。  少年は自信を持ち始めていた。 それはクリスマスの午後だった。  少年が小さな包みを 先生の胸に押付けてきた。  後で開けてみると、香水の瓶だった。  亡くなったお母さんが 使っていた物にちがいない。  先生はその一滴をつけ、 夕暮れに少年の家を訪れた。  雑然とした部屋で 独り本を読んでいた。  少年は、気がつくと飛んできて、 先生の胸に顔を埋めて叫んだ。   「ああ、お母さんの匂い!  今日はなんて素敵なクリスマスなんだ。」  六年生で少年の担任ではなくなった。  卒業の時、 先生に少年から一枚のカードが届いた。  「先生は僕のお母さんのようです。  そして今まで出会った中で  一番素晴らしい先生でした。」  それから六年、またカードが届いた。  「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で  先生に担当してもらって、とても幸せでした。  おかげで奨学金をもらって、医学部に進学  することができます。」  十年経て、またカードがきた。  そこには先生に出会えた事への感謝と 父親に叩かれた経験があるから 患者の痛みが分かる医者になれると記され、 こう締めくくられていた。   「僕はよく五年生のときの  先生思い出します。   あのまま駄目になってしまう僕を  救ってくださった  先生を神様のように感じます。   医者になった僕にとって、  最高の先生は五年生  の時に担任して下さった先生です」    そして一年。  届いたカードは結婚は結婚式の招待状だった。    「母の席に座って下さい」   と一行、書きそえられていた。  参考:涙腺崩壊 ********************  人はお互い支えあって生きていること。 すごく考えさせられるお話でした。  誰にも心の中に不満や不安を抱えて生きている。 いつだって味方でいてくれる親がいなくなった・・・ どんなにつらいだろう。。。  辛い時期を乗り越えていける強さ。 辛い時期を支えてあげる強さ。 そういう強さを持ち合わせたい。  共感できたらシェアお願いします。

********************
先生が小学五年生の担任になった時、
どうしても好きになれない児童がひとりいた。

その少年は、一人服装が不潔でだらしなかった。
… 中間記録に先生は少年の悪いところばかりを
記入するようになっていた。

あるとき、少年の一年生の記録が目にとまったのである。

一年生・・・朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
勉強も良く出来、将来が楽しみ。

間違いだ。
他のこの記録に違いない。

先生はそう思った。

二年生・・・母親が病気で世話をしなければならず、
学校に遅刻する。

三年生(一学期)・・・母親の病気が悪くなり疲れていて教室で居眠りをする

三年生(三学期)・・・母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる。

四年生・・・父は生きる意欲を失い、
アルコール依存症となり、子供に暴力を振るう。


先生の胸に激しい痛みが走った。

ダメと決め付けていた子が突然、
悲しみを生き抜いている生身に人間として、
自分の前に立ち現れてきたのだ。


放課後、先生は少年に声をかけた。


「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔をみせた。

それから毎日少年は教室の自分の机で
予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が始めて手を挙げたとき、
先生に大きな喜びが沸き起こった。

少年は自信を持ち始めていた。
それはクリスマスの午後だった。

少年が小さな包みを
先生の胸に押付けてきた。

後で開けてみると、香水の瓶だった。

亡くなったお母さんが
使っていた物にちがいない。

先生はその一滴をつけ、
夕暮れに少年の家を訪れた。

雑然とした部屋で
独り本を読んでいた。

少年は、気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。


「ああ、お母さんの匂い!
今日はなんて素敵なクリスマスなんだ。」

六年生で少年の担任ではなくなった。

卒業の時、
先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。
そして今まで出会った中で
一番素晴らしい先生でした。」

それから六年、またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で
先生に担当してもらって、とても幸せでした。
おかげで奨学金をもらって、医学部に進学
することができます。」

十年経て、またカードがきた。

そこには先生に出会えた事への感謝と
父親に叩かれた経験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。


「僕はよく五年生のときの
先生思い出します。

あのまま駄目になってしまう僕を
救ってくださった
先生を神様のように感じます。

医者になった僕にとって、
最高の先生は五年生
の時に担任して下さった先生です」


そして一年。
届いたカードは結婚は結婚式の招待状だった。


「母の席に座って下さい」
と一行、書きそえられていた。

参考:涙腺崩壊
********************

人はお互い支えあって生きていること。
すごく考えさせられるお話でした。

誰にも心の中に不満や不安を抱えて生きている。
いつだって味方でいてくれる親がいなくなった・・・
どんなにつらいだろう。。。

辛い時期を乗り越えていける強さ。
辛い時期を支えてあげる強さ。
そういう強さを持ち合わせたい。

んーーー納得(^_^;)

「見える」とは
「見える」とは  http://2chnokakera.blog.fc2.com/blog-entry-372.html
「見える」とは

【 イジメに悩んだら、人に言っちゃいましょう^_^ 】

【 イジメに悩んだら、人に言っちゃいましょう^_^ 】

先日、テレビを見たら、CMで………
「24時間いじめ相談ダイヤル」の設置のお話


イジメられて 悩んだら
人に言っちゃいましょう^_^
下記に電話しちゃいましょう*\(^o^)/*

そして
あなたの周りで
イジメに気づいたら
言葉をかけるか 幸道(行動)をとりましょう^_^

**************************************

「24時間いじめ相談ダイヤル」の設置について

子どもたちが全国どこからでも
夜間・休日を含めて
いつでもいじめ等の悩みをより
簡単に相談することができるよう
平成19年2月より
全都道府県及び指定都市教育委員会で実施。

下記のダイヤルに電話すれば
原則として電話をかけた所在地の
教育委員会の相談機関に接続。

24時間いじめ相談ダイヤル

0570-0-78310(なやみ言おう)

気軽に電話しましょうね(*^_^*)
みんな 電話しているようですよ(^o^)


**************************************


【 いろいろな子どもに 読んで欲しい 】  その為に、シェアして欲しいです。  最近また、いじめ問題が・・・悲しい出来事が続きます  (T_T)  朝日新聞(7/15)の一面に あの ボクシング元世界王者の内藤大助さんの記事が出ていました。  感動しました・・・  そして、多くの子どもに、そして大人に読んで欲しい。 大人は、子ども達に伝えて欲しい。   【いじめられている君へ】  ★相談はカッコ悪くない ★  いいか、絶対にあきらめるな!  いじめが一生続く、自分だけが不幸なんだって思ってるだろ?   俺自身もそうだったから・・・。  でも、いじめはきっとなくなるものなんだ。   俺は中学2年の時からいじめられた。  はっきりした原因は俺にもわからないけど  同級生から「ボンビー(貧乏)」ってあだ名をつけられて  バカにされた。   北海道で育ったんだけど、母子家庭でさ。  自宅で民宿をやっていて、母が朝から晩まで働いていた。    家は古くてボロくて、制服も四つ上の兄のお下がり。  つぎはぎだらけだったから、やっぱりバカにされたよ。   せっかく祖母が縫って直してくれたのに、俺はバカにされるのが嫌で、  わざわざハサミでつぎはぎを切ったこともあったよ。    中3になってもしんどくて、胃潰瘍(かいよう)になった。  学校で胃薬を飲んでいたら、先生から「何を飲んでいるんだ」って叱られた。  理由も聞いてもらえず、つらかったな。  あのとき一瞬、先生が助けてくれるかもって思ったんだけど……。   高校を出ても、「いじめられて、ボンビーで、俺は生まれつき不幸だ」と  ずっと思っていた。  上京して就職しても、帰省したらいじめっ子に会うんじゃないかって怖かった。    強くなりたかった。  不良のような、見せかけの強さだけでもいいからほしかった。  暴走族に誘われたら、入っていたよ・・・たぶん。     そんなとき、たまたま下宿先の近くにボクシングジムがあったんだ。  通えばケンカに強くなれる。  強くなれなくても、「ジムに行ってるんだ」と言えば  いじめっ子をびびらせられるって思ったね。    入ってみたらさ……楽しかったなあ。  周りも一生懸命で、俺もやればやるほど自信がついて、  どんどんのめり込んだ。  自分を守るために始めたのに  いつの間にかいじめのことなんてどうでもよくなっていた。  不思議なもんだ。    ボクシングの練習がつらいときは  「いじめに比べたら大したことない」って考え、マイナスの体験をプラスに変えてきた。  でもね、「いじめられてよかった」なんて思ったことは  ただの一度もないぜ。  いまだにつらい思い出なんだ。    「いじめられたらやり返せ」っていう大人もいる。  でも、やり返したら、その10倍、20倍で仕返しされるんだよな。  わかるよ。     俺は一人で悩んじゃった。  その反省からも言うけど、  少しでも嫌なことがあれば自分だけで抱え込むな。  親でも先生でも相談したらいい。  先生にチクったと言われたって、それはカッコ悪いことじゃない。  あきらめちゃいけないんだ。  ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤  是非とも、シェアして下さい<m(_ _)m>  そして、子ども達に、相談することの必要性を伝えて下さい。  大人もそうです・・・( ̄▽ ̄;)

世の中、捨てたもんじゃない(^_-)-☆

◎バスの中で言葉の暴力を喰らった    10歳の息子がある病気を持っており、車いす生活で、さらに投薬の副作用もあり一見ダルマのような体型。 知能レベルは年齢平均のため、尚更何かと辛い思いをしてきている。  本日、通院日でバスに乗ったとき、いつも通り車いすの席を運転手が声かけして空けてくれたんだが、どうやらそれで立たされた人がムカついたらしく、ひどい言葉の暴力を喰らった。  ・ぶくぶく醜い ・何で税金泥棒のために立たされなきゃならないの ・補助金で贅沢してるくせに ・役に立たないのになんで生かしておくかなあ?  それもこちらに言ってくるのではなく、雑談のように数人でこそこそ。 それがまだ小さい子連れの母親のグループだった。  息子が気付いて「お母さん降りようか?」と言ってくれたんだが、実は耳が聞こえにくいため、声が大きく発音が不明瞭な息子に今度は普通の声で「きも!」と言われたよ。 あまりのことに切れて「何か息子の件でご迷惑でも?」と言ったら、笑いながら「何か?だってwwうけるwww」と嘲笑された。  さらに「うちは娘だから、あんなのに目付けられたくない」「アタマがないからレ●プされても泣き寝入りだもんね~」とも言われた。 さすがにもう降りようとしたら、運転手さんがバス停に止まって「えー、奥さん、ここで降りてください」と言われる始末。  『あーもーいいや、苦情だけ入れて二度とこの路線使うもんか』と思いながら車いすを外そうとしたら「あ、お母さんじゃなくて」と私を見て運転手さんが続けた。 「後ろの奥さん方、あなた方が乗ってること自体が他のお客さんに迷惑ですので、こちらで降りてください」  私ポカーン、息子もポカーン、指された子連れママたちもポカーン。  そしたら後部から「さっさと降りろ!うざいんだよ!」「食べこぼしは片付けて行きなさいよ!」「ほらさっさと行きなさい!」との声が聞こえてきた。 さらに降りるときに運転手さんに「クレーム入れてやる!おぼえとけ!」と言ったら「はいどうぞ。乗車賃いりませんからさっさと降りてください」と言われてた。 その人たちが降りてからお礼を言ったら「迷惑行為排除は私たちの仕事ですから気にしないでください」と言われてしまい、もう私涙目。 冷たい視線ばかりと思ってたのに、世の中捨てたもんじゃないと思った。

◎バスの中で言葉の暴力を喰らった



10歳の息子がある病気を持っており、車いす生活で、さらに投薬の副作用もあり一見ダルマのような体型。
… 知能レベルは年齢平均のため、尚更何かと辛い思いをしてきている。

本日、通院日でバスに乗ったとき、いつも通り車いすの席を運転手が声かけして空けてくれたんだが、どうやらそれで立たされた人がムカついたらしく、ひどい言葉の暴力を喰らった。

・ぶくぶく醜い
・何で税金泥棒のために立たされなきゃならないの
・補助金で贅沢してるくせに
・役に立たないのになんで生かしておくかなあ?

それもこちらに言ってくるのではなく、雑談のように数人でこそこそ。
それがまだ小さい子連れの母親のグループだった。

息子が気付いて「お母さん降りようか?」と言ってくれたんだが、実は耳が聞こえにくいため、声が大きく発音が不明瞭な息子に今度は普通の声で「きも!」と言われたよ。
あまりのことに切れて「何か息子の件でご迷惑でも?」と言ったら、笑いながら「何か?だってwwうけるwww」と嘲笑された。

さらに「うちは娘だから、あんなのに目付けられたくない」「アタマがないからレ●プされても泣き寝入りだもんね~」とも言われた。
さすがにもう降りようとしたら、運転手さんがバス停に止まって「えー、奥さん、ここで降りてください」と言われる始末。

『あーもーいいや、苦情だけ入れて二度とこの路線使うもんか』と思いながら車いすを外そうとしたら「あ、お母さんじゃなくて」と私を見て運転手さんが続けた。
「後ろの奥さん方、あなた方が乗ってること自体が他のお客さんに迷惑ですので、こちらで降りてください」

私ポカーン、息子もポカーン、指された子連れママたちもポカーン。

そしたら後部から「さっさと降りろ!うざいんだよ!」「食べこぼしは片付けて行きなさいよ!」「ほらさっさと行きなさい!」との声が聞こえてきた。
さらに降りるときに運転手さんに「クレーム入れてやる!おぼえとけ!」と言ったら「はいどうぞ。乗車賃いりませんからさっさと降りてください」と言われてた。
その人たちが降りてからお礼を言ったら「迷惑行為排除は私たちの仕事ですから気にしないでください」と言われてしまい、もう私涙目。
冷たい視線ばかりと思ってたのに、世の中捨てたもんじゃないと思った。